田中正造翁の墓
田中正造翁の墓
田中正造の墓は北川辺西小学校の敷地内にあります。
正造翁のことを勉強しに、他県の小学校からもよく見学に来ています。
種別番号 (旧)北川辺町文化財史跡第四号
指定年月日 昭和五十五年三月五日
管理者 田中正造翁顕彰会北川辺支部
田中翁は、下野国安蘇郡小中村(現在の栃木県佐野市小中町)の名主の家に生まれた。
明治十一年政治に一身を捧げることを決意し、栃木県の区会議院に選ばれ県議会議員に連続当選、議長もつとめ明治二十三年第一回衆議員総選挙に当選した。
明治二十四年十二月の第二議会に足尾銅山の鉱毒問題を質問し公害防止運動の先駆けとなり、それ以来、鉱毒被害に苦しむ渡良瀬川沿岸の住民救済のために奮闘し、明治三十四年には、死を覚悟して明治天皇に直訴した。
しかし、政府は渡良瀬川の洪水を防ぐ名目で谷中・利島・川辺の三村を潰し、遊水池化することにより問題の解決を図ろうとしたため、田中翁は谷中村に仮住まいを作り、地域住民と共に不休の活動を続けたので利島・川辺両村(現在の北川辺町)は遊水池となることが避けられた。そして、晩年は利根川治水問題のため奔走していたが志なかばにして七十三歳で亡くなられた。
翁と終始行動を共にした同志村民は、熱望して分骨をうけ、ゆかりのこの地に埋葬して「義人田中正造翁の墓」を建てた。それ以来、地域住民は、翁の業績をたたえ毎年十月四日に法要会を行い翁を偲んでいる。
平成元年一月 旧北川辺町教育委員会
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更新日:2018年05月11日