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田中正造の墓

更新日:2017年10月04日

施設概要

住所加須市麦倉
田中正造の墓

足尾鉱毒事件の義人として、広く世に知られている田中正造翁のお墓です。西小学校の校庭の南西の隅にあります。
 田中正造は、明治23(1890)年の第1回衆議院総選挙に当選してから、その後も連続当選して、国会で主として足尾鉱毒問題をとりあげ、渡良瀬川沿岸の被害農民のために奮闘を続けました。明治34年に議員を辞職し、その年の12月10日に鉱毒被害について明治天皇に直訴しました。その後も、谷中や北川辺を遊水地にして改修する計画に反対する運動の先頭に立って闘い、晩年は利根川治水問題のために奔走し、大正2(1913)年9月4日午後零時50分になくなりました。
 翁の遺骸は、谷中・小中・佐野・早川田・北川辺に分葬することなり、6日に早川田の雲竜寺で密葬、その夜佐野郊外富岡で荼毘に付され、10月12日に佐野の春日岡惚宗寺で葬儀が行われました。翁と共に終始行動された同志、村民の熱望によって分骨をうけ、ゆかりの地麦倉に埋葬し、「義人田中正造翁墓」として建てられました。

田中正造の墓

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