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平井外記の墓

更新日:2017年10月04日

施設概要

住所加須市飯積
平井外記の墓

平井家は代々摂津源氏頼光の輩下にあったが、頼光の玄孫三位頼政が宇治平等院で敗れてからは数代にわたって諸国を流浪し、ついに頼政を祀る古河に至り、北川辺飯積の地に帰農しました。その後、平井外記は単に飯積にとどまらず、広く東方に開墾の鍬をふるい、飯積三軒・高野・大曾・前谷・駒場・外記新田等を豊穣な地として、北川辺領開発の租となりました。多くの餓死者を出した正保(1644~47)の飢饉のとき、救済の策尽きた外記は敢えて領主の法度にそむいて筏場の米倉をひらき、飢えた農民を救いました。そのため家は取潰しとなり、外記自身は責を負って自刃しました。時に正保4(1647)年8月6日でした。農民たちは挙げて助命運動を行っていましたが、辛うじて罪一等を減じて末の一女を恕されて平井家断絶の最悪の事態を避けることができました。平井外記は単に一族の祖、一村草創の人でなく、北川辺領開発の人であり、常に農民の側にあって権力に屈せず、農民存亡にあたってはその盾となった人です。

平井外記の墓

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